レイモンド・カーヴァー: カーヴァーズ・ダズン


8月20日 日曜日。一件仕事はあったのですが、僕も街の感じも、なんとなくお盆休みをひきずった感じの のんびりとした週末でした。


先日の出張中、そのなか日に名古屋の自転車屋さん Circles、およびCircles関連プロジェクト をじっくり見学させてもらう機会がありました。Circlesに関してはまた改めてご紹介したいと思います。

その際、Circlesの書棚にレイモンド・カーヴァー「大聖堂」の原書を見つけました。
書棚の本はどれも好きなものでした、、。

出張の電車内はずっと本を読んでいたこともあって、ここでカーヴァーというちょっとニッチな興味を共有できることがなんだか嬉しかった。

で、東京に戻ってきて久々に読み直した次第。
ということで、久々の読書感想文になります。

好きな本、好きな作家はたくさんあるのですが、
が、同じものを何回も(何十回も)読んだり、何度も友だちにプレゼントしたり、、というと、吉田健一「酒に呑まれた頭」か、このレイモンド・カーヴァー「カーヴァーズ・ダズン」の二冊かなと。

レイモンド・カーヴァー(Raymond Clevie Carver Jr.、1938年5月25日 – 1988年8月2日)
アメリカの小説家、詩人。短編小説・ミニマリズムの名手として、ヘミングウェイやチェーホフと並び称されることも多い。

そういうデータはともあれ。

カーヴァーは、職も住処も転々としてなかなかの苦労人で過ごした人生の中で見つめた諦観や不合理などの感情を、抑制の効いた文章で切り取った短編を多く残しています。
といっても、明確なアウトサイダーは登場せず、ただ「ひとかどの人物」になれなかったごく普通(とはちょっと違うかなw)の人びとが登場するのみ。

向上心で人生を開拓するような分かりやすい人間賛歌もなければ、反面、拗ねきった虚無感や反社会的暴力に向かうような退廃疾走感もない。どの物語も読後感に爽やかさが伴う「人間の味」がグッとくる。

カーヴァー本人が評しているように、
人間が「愛、夢、望み、成長、死、自分自身、そして他人の限界と折り合いをつける」光景を淡々と文章化している短編、詩を残しています。

この「カーヴァーズ・ダズン」は、彼の著作を自ら翻訳し日本における紹介者を任じた村上春樹さんの選出した傑作選。
“ぼくが電話をかけている場所””足もとに流れる深い川””ささやかだけど、役にたつこと””使い走り”、、、40代のいまになって、
なおさら身につまされる文章や、登場人物の一挙手一投足に満ち満ちていて驚きました。
改めて、一気に読んでしまいました。

また読みたいと思います。
いつかは分からないのですが、逆に言うといつでも読めると思います。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です